研修から北大
T先生
出身地:神奈川県
卒業:2001年(平成13年)
現在の勤務先:北海道大学病院
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T先生の声
- 神奈川出身(北海道に親戚や友人なし)
- 高校生の時、北海道に住みたい+北大キャンパスに憧れ。
ドラマ(中山美穂主演で遠距離恋愛がテーマの「逢いたい時にあなたはいない」)も関係あり?? - 北大に入学できず
→医師国家試験受験の結果を待たずに北海道へ
→北大小児科に入局 - 札幌は衣食(+飲)住+遊?に最適な街ですし、関連病院で勤務する地方都市には、「会うべき先輩」をはじめ、「見るべき場所」や「入るべき温泉」や「食べるべきモノ」がたくさんあります!
- 幅広い領域をカバーしている医局です!!医学部のみならず基礎の先生とのコラボもできます!
就職後北大
青柳勇人先生
出身地:千葉県
卒業:1991年(平成3年)
現在の勤務先:帯広協会病院
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青柳勇人先生の声
私にとっての十勝
20年以上前の話である。そのころ、都内の某病院で働いていた。循環器グループに属していたので、子供の心臓の手術の日などは泊りがけで院内にいることが多かった。とある早朝、患者さんの処置をしたあと、ふと窓の外をみると、首都高の高架にはトラックがズラッと並んで渋滞していた。こんな朝早くからご苦労なことだ。アスファルトとコンクリートでできた、休むことを知らない人工的な都会。どのみち自宅と病院の往復の生活なら景色のよいところで働いてみたいなと思った瞬間だった。
物心がついたころからは千葉県に住んでいた。関東平野はどこまでも平坦で、特に首都圏郊外は住宅の途切れることのない単一な風景で、私にとってあまり魅力的には見えなかった。学生のころから、時間があれば日本中あちこち貧乏旅行に出かけていた。なかでも北海道に行った時に受けた感動は強烈にその後も残っている。日本らしくない風景。飛行機は一般的ではない時代、本州の端、青森からは青函連絡船に乗らなくてはたどり着けず、簡単には行けなかったことも憧れを強くしたのかもしれない。
ちょうど、冒頭の勤務先の医局長が北大出身であり、お互いに背を向けて書類作業をしていた時、軽い雑談の中で、北海道で働いてみたいんですよと口にしたところ、あれよあれよという間に、北大小児科医局にご挨拶に伺う次第になり、次年度からの勤務も十勝・帯広と決まってしまった。今から考えれば、元の医局もよく許してくれたものだ。数年で戻ってきますから、と言っていたような気がする。だとするとだましてしまったことにはなる。かれこれ20年以上ここにいる。
現在、私は立場上、初期研修希望者の面接を担当しているが、医師を志望した理由、当院を選んだ理由などを訪ねることが多い。皆さん立派な志望動機をお持ちであり、自分の過去を振り返ると恥ずかしくなってしまう。地域に貢献したいなどの立派な動機はなく、どのみち病院に縛られる生活になるのなら、空気がよく、住んでいて楽しい場所で働きたいと思ったのが正直なところだ。送り出す立場だった上司は「(おそらく診療内容にバリエーションが少なく)すぐに飽きるんじゃないか?さっさと戻ってこい」といって送り出してくれた。
そんな瓢箪から駒の様に始まった北海道生活であるが、その土地に旅行で訪れるのと長く住むことには大きな差があるもので、住んでいなければ分からない体験は多い。例えば四季を通した変化などがそれ。水と空気がよいのは日々気分がよい。星空もきれいだ。冬は長く寒さはこたえるが、初夏の一斉に木々が芽吹く様は、大地のエネルギーに畏敬の念を覚える。庭の隅には勝手にアスパラが生えてきたり、ジャガイモやサケを山の様にもらったり。初めのうちは見るもの食べるものすべてが魅力的だった。では肝心の仕事は?先の上司の予想は大きく外れて、簡単ではなかった。一病院が抱える担当エリアは広大なのだ。牛の方が多いとはいえ、人間もそれなりに住んでいる。都市部の病院の様に専門色で住み分けしているわけではなく、患者は(子供は)あらゆる疾患を抱えて病院を訪れる。もちろん診断名は携えていない。優秀な人はその頭の中に、あらかじめ必要な疾患概念が網羅されているだろうが、ずぼらな私は予備知識は乏しく、出会った患者さんの疾患をその都度調べることで、コツコツと守備範囲を増やしていくしかなかった。残念ながら飽きる暇はなかった。
植物は一見動かないように見えて、結構移動する。一つの個体が動くわけではないが、グループとしてみた場合、その場所が嫌いであれば、好む場所に移動している。人間が植えた場所が気に入らなければ、数年でその個体は消滅するが、好きな場所で芽吹いた子孫が、群落を形成するのだ。私は積極的に動くタイプではなく、事前に情報収集するのは苦手。たまたま派遣されたこの病院に居ついてしまったのは何故だろう。土壌がよかった?日当たりがよかった?
長く住んでいるとよいことばかりではない。人がいればしがらみができる。患者さんに対しても長期的な付き合いが生じる。粋に感じるか負担に思うか、そのバランスはいつも微妙だ。病院組織、医療提供体制も常に動的平衡を保っていないといけない。人材の育成、経営の安定など管理しなければならないことは無数にあり、しかも同時進行。
私にも転機となる時期は何度かあった。あのときはかなり確定的に十勝を去る決心をしていた。身辺整理をしていたころ、少しの休みをもらって、道内旅先に出かけた。最終日のニセコから戻る途中-ニセコの紅葉は美しかったが-狩勝峠を超えると眼下に十勝平野が広がる。一列につながる防風林、針葉樹の多い植生、広大な畑、十勝平野を囲む山々。とたんに奔流のような喪失感が襲ってくる。今更ながら一つの事実が、迫ってくる。もうこれからはこの景色は当分見られないのだと。
その喪失感が決心を鈍らせたのかもしれないし、ただ単に優柔不断なだけかもしれないが、結局動かなかった。人との出会い、患者さんとのしがらみ、おかれた立場の変化などいろいろな要素はあるが、すべてひっくるめて十勝の土壌というものから離れられなかったのであろうか。どこで暮らしてもよいこともあれば悪いこともある。平均すればつらいことの方が多いのではないか。しかし、私の暮らしている場所では、山も木も、牛も鳥も、頑張って力強く生きている。もちろん本業の守備範囲である子供たちも。そういった生命のエネルギーの放射を肌に感じながら暮らせる場所であることは間違いない。
1年間~数年間など、短期間での勤務を希望される方も大歓迎です!
COVID-19流行拡大の中、
病院見学・面談のために来道いただくのが
難しい場合もあるかと思いますので、
医会長が、オンラインで個別に面談させていただきます!
ぜひ、下記までご連絡ください
連絡先:[email protected]
医会長 江川 潔
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